みつくりざめさん作 : ランダムエンカウント 「おあそび」 (1)

1
 遠く、夜風が草間を吹きぬける。
 枯れた雑草たちが互いの身体をこすり合わせる微かな音を、乾いた冬の風が曇天模様の空へと運んでいく。
 普段より心持ちゴワゴワとした肌触りのタオルケットに身を包み、私はぼんやりとベッドから天井を眺めていた。
 未だ目覚めきっていない頭では、視界は薄モヤに包まれているように不明瞭で、頼りない。
 天井には正方形の照明、壁紙は白を基調として――それでも、自分が薄暗い部屋にいる事は解った。
 寝そべったまま眺める天井は、事前に協会がこの街に用意してくれた仮住まいの物と似ていなくもない。
 とは言え、仕事柄で部屋を2、3日空ける事なんてザラだし、戻って来たとしても数時間の睡眠を取る程度。
 正直、自分の部屋の印象は限りなく薄い。
「……え、あ……?」
 身を起こしながら短く呟く。どうやら私の意識は目覚めきっていないどころか、随分と酷く混乱しているらしい。
 嫌と言うほど鮮明に脳裏にこびり付いた、先刻までの記憶に残る風景。
 それと今自分がいる場所とが、全くと言って良いほど繋がらないのだ。
 静かに、一定のリズムを刻んでいた波の音。靴裏で強く蹴り飛ばしていた砂の感覚。
 そして、そこだけ陽が昇っていると見紛うばかりの強烈な閃光
 ――確かに自分は、つい先刻まで街外れの海浜公園にいたはずなのに。
 そこからどこをどう彷徨えば、こうしてベッドの中に潜り込めるのだろう?
 判然としない視界とぼやけた思考。
 とても恵まれているとは言い難い条件でその疑問に答えるとなると、至ってシンプルな回答しか得る事は出来なかった。
「……えっと、あれ、夢とか……?」
 自分でも情けなくなるぐらいの惚けた声が漏れる。
 安直な結論の見本の様ではあるが、そう考えるしか辻褄が合いそうに無い。
 そう呟いた途端、肩から力がガクッと抜けた――とにかく、私は生きている。
 夢の内容を要約してみる。
 ――私が対峙していたのは、神話の時代より名を残す特上クラスの怪物。
 これまでに何人もの同業者が戦いを挑んでは、そのことごとくが葬り去られたという血に餓えたバケモノ。
 私もその怪物に挑むのだけれど、切り札を使っても撃破は出来なくて……と言うより、全く力が及ばず。
 いよいよ進退窮まった私に怪物は迫り、鉄鎚の如き拳を振り下ろす――ここで夢は終わり。
 これが現実なら、私は怪物の巨椀に押し潰され、一辺の肉辺も残さずこの地上より消え失せていたに違いない。
「は、はは……」
 力無い笑い声が漏れる。とにかくやたらリアルで縁起の悪い夢だった。
 この街で私が一月掛かりで重ねてきた下準備。その全てが徒労に終わり、ついでに私も命を落とすとは。
 今の今まで自分でも気付かなかった、逞しいまで負の想像力に呆れ返る。
 夢とは言え――いや、むしろ夢だからこそ問題なのだと思う。
 この道に入ってから必死になって振り払ってきたはずの、死に対する恐れ。それが無意識の内に膨れ上がっている事の証拠なのだから。
「……どうするのよ、端から弱気で」
 容易ならざる大敵との本番を前にしながら、心が萎えてしまったか。
 しっかりしろと、小声で自分を叱咤した。
 珍しい事に、夢の内容は一場面ごとに相手の挙動と言った細部までしっかりと頭に焼き付いていた。
 夢に見たのが敗北に至るまでのシナリオなら、現実には同じ轍を踏まなければいい。
 意図せず実戦のシミュレーションが出来た。そう、今は前向きに解釈する事にする。
「……風?」
 うっかり窓を開け放しにしたまま眠ってしまったのか、何処からか外気が吹き込んでいた。
 突き刺すような北風にも関わらず、不思議とそこまでの寒さは感じないのは、寝起きから身体が火照っている為だろう。
 嫌な夢の名残のように、ねっとりと生暖かい汗が背中を伝う。
 普段なら不快でしかない感覚なのだが、今は自分が生きている事を証明してくれているようで、気持ち有難かった。
「何だろ。だるい……」
 安堵は、全身が倦怠感を訴えている事にも気付かせてくれる。
 こちらは余りに鮮烈に死のイメージを突きつける、極上の悪夢を見た後だからか。
 極端に情報量の多い夢を再生した為に、どうも脳が疲れているらしい。
「汗、流すかな……」
 包まっていたタオルケットから抜け、ベッドから一歩足を踏み出した。
 嫌な汗を流してしまったけど、シャワーでも浴びてすっきりしよう。
 今は丁度ハダカなんだし、都合も良い――
「え」
 頭が鉛のように重かったのが嘘のように、速攻で自分の思考にツッコミが入った。
 えっと、何が、どう、都合が良いって……?
 数回の瞬きの後、視線はふらふらと宙を泳ぎ――ブラすら付けていない私の乳房を、確かに眺めていた。
 こんな時に限って存在をアピールするように揺れて見えるのは、何かの悪い冗談だろうか?
「ええええええええええーッ!?」
 意識が沸騰した。考えが纏まるより早く飛び出す、余りにも素っ頓狂な声。
「なんで、何でハダカなの私ッ!?」
 海浜公園にいて、ベッドの中で、その上ハダカ。何もかもに脈絡が無い。
 全裸でないと安眠できないと言う人もいると聞くが、私はそんな癖も無い!
 咄嗟に両腕で自分を抱きしめる要領で胸を覆うように隠して、間髪入れずにぶんぶんと頭を左右に振り乱すこと実に十数回。
 ――そうして、やっと気付いた。
 白く見えた壁紙は端々が醜くめくれ上がっており、天井に開いた大穴からは朽ちた建材が臓物のようにぶらぶらと垂れ下がっている。
 据えた臭いが鼻を突くここは、どう見ても私の部屋なんかじゃない。
 ここはまるで、廃墟そのものじゃないか。
「……これはこれは。漸くのお目覚めか、騒々しい物だ」
 剥き出しの背中に浴びせられた声は、嘲りを隠そうともしていなかった。
 甲高くて幼いその声は、けれど雷撃の様に私の身体に突き刺さり、瞬間的にヒートアップした思考をそれ以上の速さで冷え上がらせる。
 聞き覚えのあるその声に、私は反射的に身を捩じらせていた。
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