みつくりざめさん作 : ランダムエンカウント 「おあそび」 (2)

2
 ――窓際に少女がいた。二人掛けのソファーに大股で深々と腰掛け、上目遣いでこちらを伺っている。
 白いブラウスに膝丈までのズボンという服装に加え、くしゃくしゃと癖のある髪を肩まで伸ばした風貌は、精悍な顔立ちも手伝って美貌の少年の様でもある。
 あれは確かシェイクスピアの戯曲を基にした物だったか。
 いつか読んだ絵本に登場した悪戯好きの小妖精には、丁度こんな姿での挿絵が添えられていた覚えがあった。
 挿絵の妖精がそうしていたように彼女にも三角帽子を被せたら、意外と似合うのではないか。
 かと言って、目の前の少女を妖精と称するには、二つほど引っかかる箇所があった。
 一つは、先程から殆ど手を止める事無く、手にしたスナック菓子をムシャムシャと貪り続けているという点。
 そこらのコンビニで見かける菓子袋と、その中身と思われる食べ零しを足元に散乱させている光景は、妖精の持つ神秘性とは程遠い所帯染みた物だ。
 何よりもう一つ。部屋の闇に輝く、私を剣呑に見据える眼光。
 それは紅玉の如き高貴さと同時に、鮮血の如き不吉さを併せ持つ赤い輝き。
 果たして夢物語に登場する妖精が、これ程に見る者を恐れさせる眼光を放つ物だろうか――
「…………っ!」
 まるで、室内の空気が凝固したようだ。急速に増大したプレッシャーに、普段通りに息が出来ない。
「余りに目を覚まさないからな。加減を誤ってうっかり殴り殺してしまったかと、少々気を揉んでいたぞ?」
 小さな唇を歪めて少女は話す。
 右端にルアーでも引っ掛けて、無理矢理に吊り上げたような口元。
 皮肉と悪意を湛えたその笑みには、およそ少女らしさという物が感じられない。
 幼い外見にそぐわない口調も相まって、むしろ老猾さすら漂わせていた。
「あと裸ではない。よく見ろ、パンツだけは穿かせてやっている」
 何処か間の抜けた事を言う口元には、お菓子の食べカスがくっ付けられていた。
 それが唯一の気休めと言えば、そうなのかも知れない。
「……む」
 菓子袋に突っ込まれていた少女の手が、一瞬止まった。
 ほんの僅かな間の後、袋の中を探るようにせわしなく手を動かし始める。
 どうやら中身を食べ尽くしてしまったらしい。
 ニヤニヤ笑いから表情を一転、忌々しげに眉を顰めた少女は、舌打ちと共に空袋をソファーの上に投げ捨てた。
「しかしまぁ、ブツブツと何事かを呟いていたかと思えば、見事なまでの慌て様……」
 おもむろに椅子から飛び降りるように離れると、少女は腕を組んで話を続ける。
「さてはお前、自分が何故ここにいるかも理解できていないな?」
「な――!」
 その一言に背筋が僅かに強張る。
 あれだけ大騒ぎしてしまったのだし、事実その通り。
 だが、赤く輝くあの瞳を見ていると、どうしてか心を見透かされている様な不安感に襲われてしまう。
「……ふん」
 鼻で笑われた。私が見せたリアクションは、どうやら少女の期待に沿う物だったらしい。
 そうかそうかと満足げに二度三度頷くと、彼女はまたコロリと表情を変え、これ見よがしに歯を見せて笑う。
 流麗に吊り上がる眼が、更に鋭さを増したように見えた。
 ――風に雲が流れた。
 月光は雲の合間を縫い、ヒビ割れた窓からこの部屋に差し込むと、私の目前に歩み寄る少女の顔を鮮明に照らし上げた。
 悪夢にまで見た記憶に新しい顔が、酷薄な笑みを浮かべて私の正面にある。
「図星か。それじゃハッキリと言ってやろう」
 月明りを浴びた髪が、まるで銀糸で編み上げられた織物の様に妖しく煌いた。
 その白い煌きは、さながら墓穴の底に眠る髑髏が、松明の灯りに浮かび上がる様を連想させる。
「お前は負けたのだよ。このわたしにな」
 もはや疑う余地など無い。目の前にいるのは逃れようの無い現実だ。
「ステンノ……!」
 その名前を、思わず口に出していた――
 ――ステンノ。
 『形無き島』に住まう女怪・ゴーゴン三姉妹の長女であり『強き女』の異名を持つ堕ちた女神。
 大地母神と海神の血を継ぐ故かケタ外れの怪力を誇り、神代の勇士達を数限りなく血祭りに上げたと聞く。
 その魔物が二人の妹を率いて日本――ここ神手市に潜伏したという情報は、四か月程前から私の元にも届いていた。
 既に何人か生え抜きの協会員が殲滅に向かったのだが、三姉妹の誰か一人でも倒されたという報せは、残念ながら未だに無い。
 代わりに私たちに届くのは、任務に当たった協会員がいずれも消息を絶ったという真逆の報せばかり。
 強大な石化の力を持つ事で知られる連中が相手だけに、彼らがどうなったかは容易に推察できた。
 その為、肝心の三姉妹に関する詳細すら情報がろくに入ってこないという辺りが、この件の悪質さを上増ししている。
 協会のメッセンジャーをツテに、私宛てに三姉妹討伐の任務が下ったのは一ヶ月前のこと。
 プレトリアに出現した疫病を撒き散らす凶鳥に、家畜と農夫を喰らう猛威を振るったニューデリーの単眼の獣。
 これら決して容易くはなかった殲滅任務を、単身で達成した功績を評価されての事だそうだ。
 とは言え、今回は相手が相手だ。
 純粋な魔術師である私とは別に協会から派遣された、剣士の少女と協同する運びとなっていた。
「――数百倍の重力を発生させる魔法陣を、超々局地的に仕込んで念入りに隠匿。そこにわたしを誘い込んで破壊する……か」
 ステンノは言って聞かせるように、私が彼女に敗れた過程を解説してくれている。
「浜辺を戦場に選んだのはその為だな。魔法陣を砂で覆ってしまえば見つかりにくかろうという算段もあったか? ああ、如何にもセコい人間の発想だ」
 私の第一印象を笑い飛ばす所から始まったステンノの批評は、やれ私の服装のセンスが好かないだとか、喋り方に礼儀が無いなど事細やかに及び――つまりクドい。
 大げさな身振り手振りを交えながら、既に50分は延々と語り続けているだろうか。
 ステンノの言葉にもある重力。その『制御』に特化した才を持つとされるのが、私の家系の特徴だ。
 重力を軽減する事による運動性の向上、また逆に増加させる事での相手の拘束などが魔術としての『重力制御』の本分。
 その為、基本的に協会では補助とカテゴライズされている。
 だがそれを一心に磨き上げ、攻撃に転用できるレベルにまで到らせたのが八代前の頭首だと聞く。
 以来、私の家の者は特化した破壊力を持つ重力を武器に、数多の魔獣や外道の類を討ち滅ぼしてきた。
 事実この私も、トラックに匹敵する巨躯を誇るニューデリーの魔獣を粉々に破砕して倒したのだ。
 如何に強大な力を持つとは言え、人間の子供と大差の無いサイズのステンノの事。
 一ヶ月掛かりで幾重にも隠匿を重ねた有効範囲内に誘い込みさえできれば、勝算はあると踏んだのだが――結果的には、どうにもならなかった。
「……まぁ。発想は悪くはないし、隠匿の技術もそれなり。加えて支援向きの魔術にあそこまでの殺傷力を持たせられるのだ、あと一歩の押しがあれば、或いは私も危なかったのかも知れん」
 ――私の魔術を易々と殴り壊しておいて、よくもそんな心にも無い事を。
 歌うような口調に時折り漏れる笑い声。彼女が私を見下している事は、日の目を見るより明らかだ。
 言葉や挙動の一つ一つが、ただひたすらに癇に障る。だが情けない事に、今は黙っているしかできなかった。
 今の私はハダ――いや、もとい丸腰だ。
 魔術の発動体としている黒メノウの指環。それすら身に付けていない状態では、戦いになど到底ならない。
 だからと言って、仮に少しでも逃げる素振りを見せてしまえば、あれは恐らくその瞬間に私を殺す。
 今私の目の前にいるのは、そういう奴だ。
「……おい、何だその顔は」
 ステンノの洞察力が並外れているのか、それとも私がポーカーフェイスに徹する事ができなかったのか。
 彼女の称賛の言葉を、私がちっとも喜んでいない。心の底からそれが理解できないと言わんばかりに、ステンノは細い首をこくりと横にかしげた。
「折角このわたしが褒めてやっていると言うのに、それをどうして素直に喜ばん。全く、負け犬の考えは理解に苦しむ」
 ぎちり。頭の中に、大きく歯軋りの音が響いた。
 ――確信した。コイツは間違いなく、正真正銘、根っからのサディストだ。
 只でさえ強大な力を振りかざして相手を叩きのめすだけでは飽き足らず、更に言葉でも徹底的に嬲る。
 そうして肉体的、精神的、共に勝者としての優越感に浸る事を何よりも楽しむのが、この少女の在り方なのだと。
← 1  → 3

« »