みつくりざめさん作 : ランダムエンカウント 「おあそび」 (4)

4
 息が掛かるまでに近くに在る筈のステンノの顔は、滲んでよく見えない。
「――ふん」
 ただ酷くつまらない物を見てしまったと、すっかり醒めている様に思えた。
「止めだ、止め。そんな情けない面を見てしまっては、殺す気も萎える」
 ステンノは体を起こした。首を絞める力が、掻き消えるように緩まっていく。
 酸素を求めて激しく呼吸を繰り返すのだが、喉の奥から嗚咽が勢い良く沸いて来て、中々上手く出来なかった。
「あれの相手をしたのは妹だよ。あいつが小娘一人でどう遊ぼうが、このわたしの知った事か」
 ステンノは私にのしかかったまま、抑揚の無い口調で話し始めていた。
 あれだけ爆発的な感情を見せた後だけに、一種の穏やかさがむしろ薄気味悪い。
「呆れるほど愚図な奴ではあるがな、あの程度の相手に遅れを取る事などはない」
 妹と言うのは、狙い図ったように私たちの前に現われた増援の女の事か。
 夜の闇を軽やかに舞い、瞬く間に私たちを二手に分断した、翼を持ったあの女――エウリュアレの。
「……それじゃ、あの子は……」
「大方、あの浜辺でエウリュアレと乳繰りあっている事だろうよ。いや待て、もう既に石と化していても良い頃合か」
 能面のように感じられていたステンノの表情が、再びニヤニヤ笑いに戻っていくのが解る。
 頭の奥底で可能性を思い描きながらも、ずっと理性で否定していた事実。
「そん、な……!」
 つい数時間前まで行動を共にしていた少女。取っ付きにくそうだったけど、これが意外と素直で可愛いとさえ思っていた少女。
 その彼女が、今では動かぬ石の塊――実質的に死んだと等しい『モノ』に変えられたと。
 そんな頭がどうにかなってしまいそうな事実を、事も無げにステンノは私に告げた。
「どうした。そんなに驚く事でもないだろう?」
 当然のように話すステンノには、自分達が人一人の命を奪った事に対する罪の意識などはまるで感じられない。
 怪物にそんな物を期待するだけ無駄なのは解っているのだが、そこにどうしようもない感情が渦を巻く。
「わたし達を相手取った訳だ。負けた時の事ぐらい想像できるだろうが。……もっとも、お前もそろそろ頃合のようだがな」
 頃合?
 言っている事の意味がよく解らない。それは一体どういう意味かと、震えそうな声で問おうとした途端。
 ――私の左肩が、ピシリと乾いた音を立てた。
「え……?」
 視線を送る。ステンノに脱がされ、剥き出しにされた私の肩。
 見慣れた自分の体なのに、どうしてこんなに違和感を覚えるんだろう。私の肩って、こんなに白かったっけ……?
 事態が把握しきれない私に現実を突きつけるように、白い左肩に一条、大きな亀裂が入った。
「――き」
 生気の感じられない虚ろな白色。そして音を立てて入ったヒビ。
 見間違える余地なんて無い。私の身体は、確かに石になっていた――
「きゃああああああああああっ!?」
 なんで、一体何がどうなって!? 
 ゴーゴン三姉妹が人間を石に変える事ぐらいは当然知っている。だがメデューサが持つとされる『石化の邪眼』をステンノは持っていないはず。
 もしもステンノが邪眼の持ち主なら、私は既に浜辺で石にされていたはず。
 人間を石に変えるという古代の邪法。そんな大掛かりな物を使われたのなら、私も気付かない訳が無い。
 なのにどうしていつの間にッ――!?
「くははははははははははははッ!! こいつは傑作だ! お前、最期まで気付かなかったのだな!?」
 私に圧し掛かったまま、ステンノは堪えきれないとばかりに哄笑を挙げた。
 口から飛び出した唾が、幾つもの小さな飛沫となって私の顔に浴びせられる。
「ボンクラもここまで突き抜ければ天晴れだ。お前を部屋に運んでから目を覚ますまで、このわたしが指を咥えて目覚めを待っていたとでも思ったか!?」
「それって、どういうこ……ッ!」
 最後まで言い終わる前に、ステンノの言っている意味が解った。
 この部屋で目覚めた時に感じていた気だるさと、奇妙に火照っていた身体。
「まぁ、お前も眠っていたからな。半端に目覚められぬよう優しくしてやったのは確かだよ」
 あれは、つまり、その。
「経験のある女なら自分が何処をどう弄られたのか、直感で気づきそうな物だがな。いやいや、乳臭いお前には、些か荷が重かったか」
 言葉は出ない。ただ、肘の辺りまで石に変わっている左腕が、代わりに乾いた音を立てる。
 心なしか、体が石に変わる速度は時間と共に増しているような気がした。
「で、このわたしは触れた物を石に変える……何が言いたいか、解るな?」
「あ、あぁ……っ」
 判断を誤れば殺されるなんて、今から考えれば何とも生易しい話。
 この部屋で目覚めた時点で、既に私の身体は終わっていたのだ。
 ステンノに全身を貪られていた私は、最初からもう詰んでいたのだと――
「どの道お前は石になる。最初はその様をじっくり楽しんでやろうと思っていたのだがな、嘘吐き呼ばわりされてはそうも行かんだろう」
 そう言いながら眼を細めるステンノは、獲物に止めを刺さんと鎌首をもたげる蛇の様に見えた。
 色艶の良い唇はさながら蛇の舌だ。チロチロとせわしなく動き、狩りを如何にして仕上げるかを楽しんでいる。
「……落し前を付けろ。ここで石となれ」
「は、ぅん――ッ!?」
 言うが早いか、ステンノは私の胸を鷲掴みにしていた。
 私の乳房をオモチャを扱うように乱雑に揉みしだくその両手には、彼女の瞳と同様の紅い輝きが宿っている。
 恐らくは、あの光こそが人間の身体を石と化す呪い。
 視認出来るまでに濃密なその呪いが、ステンノの両手を通じて私の中に注ぎ込まれていく。
「……い、嫌ッ!」
「さえずるなと言ったろうが……ッ」
「ふ……っ!?」
 恐怖の余りに悲鳴を挙げた口に、やはり乱暴にステンノの唇が重ねられた。
 これは口付けだなんて良い物じゃない。無理やりに捻じ込まれた舌は何の遠慮も無しに私の口の中を舐め回し、やがて私の舌に絡みつく。
 喩えるなら、それはまるで特大のナメクジが口の中で暴れまわっているようだ。
 私の口内を満たしていく言い用の無いこの不快感も、恐らくは呪いの一種なのだろう――
 あれからどれだけの時間が過ぎたのか。数秒間の出来事の様だった気もするし、数時間もの間に渡って弄ばれていた気もする。
 ただ、窓から見える月はまだ高く登っていたし、まだ左腕は完全に石にはなっていない。多分、前者なんだろう。
 時間の感覚が無いのは、それだけ私が石に近づいているからなのか。
「――さてと、終わりだ」
 涎を絹糸のように伸ばしながら、ステンノは私の唇から離れた。
「そら急げ。もうお前の数える時間は僅かしかないぞ」
 ステンノの声は、幾分か優しげな声のようにも聞こえる。だが、何をどう急ぐというんだろう。
 もう私の身体は石になるというのに。そんな私が、一体何を急がないといけないんだろう。
「ハダカは嫌なのではなかったか? お前が胸を晒した彫像になりたいと言うのなら、無理に起き上がれとは言わんがな」
「……っ!?」
 そうだ、惚けている場合なんかじゃない。
 このままでは私はステンノの言う通り、今の惨め極まる姿で石と化してしまう事になる。
 神話の時代から語り継がれる呪いを帯びた石の屍は、恐らく土へと還る事は無い。
 未来永劫に渡って無様な姿を残してしまったとあれば、恐らくは最期まで戦い続けたあの子にも、示しが付かないじゃないか――!
 部屋の片隅、既に使われなくなって久しいテレビが乗っかっている台の横。
 そこに隠すように、私の服がぐしゃぐしゃに丸めて置かれていた。
 軽く引っ掛けるだけでも良い。せめて裸像と化してしまう事だけは避けなければ。
「――あ」
 立ち上がった瞬間、全身が軋むような音を立てた。
 必死に頭では一歩を踏み出す命令を送っているのに、体中に鎖が絡みついたように身動きが取れない。
「残念だったな。時間だ」
 その言葉が最後の鍵になったのだろうか、体内に流し込まれた呪いが、一斉に外へと溢れ出した。
 足は床に根を下ろしたように動かなくなり、腹部からは破裂音にも似た音を立てる。
 肩にヒビが入った時の音とは比べ物にならないそれは、特大の亀裂が私の体に走った事を意味するのだろう。
 もう、私には時間が無い。
「く、うぅ――ッ!!」
 自由の利かない左腕を振り、半ばぶつける様に力任せに右腕を左手で掴む。
 右腕を掴んだと同時に、私の片腕はただの塊になった。
「うぁ、あああっ!!」
 後は左腕、左腕を身体の前で交差できれば、少なくとも胸を隠す事ぐらいはできるはず。
 殆ど硬化した右肩を前に出し、手との距離を詰める。あと少し、あと少し手を伸ば――
「あ」
 左手が右腕を掴む直前、視界が唐突に真っ白に塗り潰された。
 同時に頭の芯の辺りから、これ以上無い音量の軋む音が聞こえた。
 意識が、急速に掻き消されて行く。
「ウスノロ」
 ――最期に、そんな嘲りの言葉を聞いた気がした。
「ふん、飯粒が」
 部屋が再び自分一人だけの物になった事を見届けると、ステンノは一人ごちながら立ち上がった。
 身を前に屈めるような姿勢の女性像が、ちょうど彼女に尻を向ける形で立ち尽くしている。
 純白の石で造られた精巧極まる女性像。だが、その表面には幾筋ものヒビが入っていた。
 一見すれば、完成してから結構な年月が経っている様にも感じられる。
 ステンノは石像の尻をまじまじと眺め回すと、ぱちんと平手で叩いた。
 彫刻で表現された石のパンツはその衝撃で脆くも崩れたが、余り気にしなかった。
 石像の右から回り込み、石像の正面に立つ。
 整った顔立ちの女性像だった。細い眉を吊り上げたその表情は、無念とも羞恥とも付かない感情が浮かび上がっている。
 左頬に縦に走る細いヒビが涙のように見えるのも、表情に哀れみを添えているようだ。
 真正面からその表情を眺めるには、ステンノには少し背丈が足りなかったので、仕方なく爪先立ちで鑑賞する事にした。
 更に左横に回り込む。自分を抱きしめる仕草の彫像なのだが、一点だけ奇妙な所がある。
 右手は何かを掴もうとした形のまま、身体を抱きしめる事無く宙で停止しているのだ。
 彫像の右手と身体の間には、大きさにしてステンノの拳が入るぐらいの隙間が空いていた。
 その奥に見えるのは、やはり石で造られた形の良い乳房。
 本来なら見えない箇所なのだが、他の箇所と何ら遜色のない彫刻が施されていた。
「ガラ空きだ、横からだと丸見えだぞ」
 まるで石像に語りかけるよう、そうステンノは一笑した。
 ステンノは無造作に石像を担ぎ上げると、それをいとも軽々とベッドに向かって投げつけた。
 重量にして数百キロ超はあろう、等身大の石の塊にも関わらず。
 石像は大きく放物線を描いて宙を舞い、まるで吸い込まれるように落下してうつ伏せる様な形でマットに沈み込む。
 劣化の進んだベッドのフレームが、ギシギシと苦しげな悲鳴を挙げた。
 ぶち破られたドアから、石像が横たえられた部屋に再び風が吹く。
 上機嫌そうに笑っていたステンノだったが、どうした事か俄かに焦りにも似た表情を浮かべた。
「いかん、さては今ので起こしてしまったか!?」
 並の人間――いや、仮に魔術師であろうとも、それは単に風が廃屋を吹きぬける音にしか聞こえなかっただろう。
 しかしステンノの耳には、そのか細い音は確かに『泣き声』として聞こえたのだ。
「ええい、このあばら屋めッ! これしきの音でも漏らすかッ!!」
 ステンノの怒鳴り声に反応してか、その『泣き声』は更に大きく悲しげな物にと変わって行った。
 ――ここも、そろそろ限界だな……
 次の寝床には何処が相応しいかを考えつつ、ステンノは『泣き声』が聞こえる方向へと大慌てで走り去って行った。
← 3

« »